NHKエンタープライズ iHistory(アイ・ヒストリー)

NHKエンタープライズ iHistory(アイ・ヒストリー)

オンリーワンの演出家をめざして
10年目で転進 異色のドラマ・ディレクター

「足から下は、もう半分以上どっぷりつかっていますよ」
NEPドラマ番組部のディレクター・一色隆司の頭の中は、ただいま制作準備中のドラマでいっぱいだ。手がけているのは、NHKが世界に通用するドラマとして制作する、初の大河ファンタジー『精霊の守り人』のシリーズ第3部。上橋菜穂子原作の壮大なファンタジーを、VFXを駆使して高精細の4Kで実写映像化する話題作である。3年がかりで放送の予定で、一色の担当分の放送は1年以上も先だ。

NEPは創立間もないころから、ドラマ制作に取り組んできた。日中共同制作ドラマ『大地の子』、大河ドラマの『信長』と『炎立つ』、さらに時代劇『蝉時雨』など、世に知られるドラマは枚挙にいとまがない。NEPのドラマ制作をこれまで主に担ってきたのは、ドラマ制作歴20年、30年というキャリアを誇るNHKのOBや出向者だった。その中にあって、一色は途中からドラマに転進してきた異色の経歴の持ち主だ。NEPに入社後およそ10年間、一色はハイビジョン映像の開発・展開を担当し、ドキュメンタリー番組も制作した。しかしテレビドラマの制作経験はなかった。ドラマ演出の世界に飛び込んだのは32歳。ドラマ・ディレクターとしてはスタートが遅い、異例の転進だった。

オンリーワンの演出家をめざして
『精霊の守り人』(NHK DVD)
ハイビジョンの実験工房で
「いろんなことをやってみた」

一色は自分の将来について、親の希望通り医者になるものと思っていたという。ところが高校生の時に出かけた「科学万博 つくば85」の集英社館で、上映された映像詩を見て心を揺さぶられ、知らず涙が流れた。こんな映像をつくってみたい、映像作家になりたいと真剣に考えた。悩んだ末に日本を飛び出して、ハリウッドで活躍する有名監督を輩出する南カリフォルニア大学・映画TV学部制作学科に進学した。異色の人生の始まりである。

在学中16ミリや35ミリカメラでさまざまな作品を制作し、映画監督になることを目指していた一色には、卒業後の進路に関して少し迷いがあった。講演でたまたま渡米していた映画監督の篠田正浩氏と話をする機会を得て、将来について相談した。「いい現場を紹介してあげられるけれど、やっぱり映画で食っていくのは大変だよ。テレビとかに行った方がいいよ。映画は後で作ればいいんじゃないか」とアドバイスされ、映画業界以外の道もあることを知った。調べてみると、確かにテレビ局や広告代理店も映画に関わる仕事をしていることがわかった。なかでもNHKは国際的な活動が他の日本企業と比べて断トツに多かった。それが一色がNEPで働きたいと思った直接のきっかけだった。

1991年、一色のNHKエンタープライズでのキャリアがスタートした。
「ハイビジョン推進部というハイビジョン関連の番組や事業を一手に引き受ける部署に配属になり、次世代メディアのあらゆる可能性を追求する日々が始まりました」(一色)
NEPが草創期から担ってきたハイビジョンの開発・普及、それはNHK最大の経営課題だった。その実施部隊である「ハイビジョン推進部」には、当時NHKの報道や番組制作などから選り抜きのメンバーが出向してきていた。「ハイビジョンでは、いったいどんなことができるのか」「ハイビジョンの特性を最大限に活かすのは、どんな作品か」といった議論や試行錯誤の試みが日々行われていた。制作するソフトもテレビで放送されるものだけでなく、たとえば美術館で流す展示用映像や空港などのパブリックスペースで流す環境ビデオ的なものまで、多岐にわたっていた。ハイビジョンのことなら何でも手がける、まさに「ハイビジョンの実験工房」だった。これまでにない新しいものを作ろう、みんなが燃えている職場だった。

入社から8年目の一色に、大きなチャンスが訪れる。NHKスペシャルの超大型シリーズ『世紀を越えて』の制作チームに抜擢されたのだ。大学時代の知人と二人で作ったジェームズ・キャメロン監督のドキュメンタリー番組を評価されての起用だった。担当したのは『世界 ビッグパワーの戦略 第5集 ハリウッド史上最大の映画帝国』(1999年)。1本の番組を10か月かけて制作するという、番組の規模の大きさに興奮しつつ、深く緻密な取材の手法を体得できた貴重な経験となった。

32歳の新米演出家誕生

ハイビジョンは、試験放送から実用化試験放送、そして2000年に本放送へと進化を遂げる。ハイビジョン推進部もハイビジョン部、マルチメディア事業部へと名称は変わったが、一色は同じ部に10年余り在籍した。「ドキュメンタリー番組やスタジオ番組の制作のほか、地方博の映像制作や外部とのイベント・事業など様々なジャンルの仕事を担当し、いろんな人と巡り会いました。ディレクターとしてだけではなく、プロデューサーとしても色んな経験をさせていただき、特に事業の経験が自分の人生の一つの宝物になっています。」(一色)
交渉のノウハウ、撮影や取材、演出のノウハウ、事業展開の経験で得たコスト感覚や予算管理のスキーム、さらに人のつながり……。ここで身につけたものが一色にとって大きな力となっていく。NHKから出向してきたすぐれた先輩たちから得たものも大きかったという。

一色がハイビジョン事業にかかわっている間に、NEPのドラマ制作は大きく飛躍する。ドラマ部の誕生だ。大河ドラマの制作も手がけるようになった。元々ドラマの演出がやりたくて入社した一色だったが、ドラマ部への異動を考えつつも、異動のきっかけをつかめずにいた。しかし『世紀を越えて』の大プロジェクトを経験したことが、一色の背中を押した。キャリアと人脈が大きな力となると言われる、テレビドラマの世界に挑戦できるのは、「年齢的に最後。やはり、やってみたいと思っていることにチャレンジすべきではないか」と考え、ドラマ部への異動を願い出たのだ。当時の部長も理解を示してくれて、異例の転進が実現した。

32歳にして最初に担当した仕事は、単発のハイビジョンドラマ『おいね 父の名はシーボルト』(2000年)の制作補助だった。幸運なことに、監督の三枝健起は芸術選奨新人賞を受賞するなどNHKを代表する演出家だったが、実は『新日本紀行』などを制作した報道番組の出身で、ドラマに転身したのは一色と同じ32歳だった。
三枝のもとでドラマ演出のキャリアをスタートさせた一色は、全速力で走り始める。山本周五郎原作の時代劇ドラマ『柳橋慕情』15回シリーズ(2000年)で、SD(助監督)とFD(チーフ助監督)を経験し、最終回の前編にあたる「愛しい人よ」では初めて演出を任された。当時のプロデューサーに率直に不安を訴えたところ、プロデューサーは「君ならできると思うから、任せたんだ」、そう言って演出経験のない一色を励ました。新米演出家のデビューをスタッフや出演者も支えてくれた。
「プロデューサーの激励で、自分のモチベーションが上がったことを鮮明に覚えています。また出演者の藤村志保さんからはいろいろなアドバイスをいただき、今でもご指導いただいています。」(一色)
この転機を乗り切った一色は、以降演出業務に専念することになる。

愛・地球博でスーパーハイビジョン映像を演出

科学万博のパビリオン映像に感動したことでその後の進路を決めた一色に、20年後大きなチャンスが巡ってくる。大阪万博以来の国際博覧会となった愛・地球博のテーマ館で展示する、スーパーハイビジョン(8K)の映像制作プロジェクトに加わることになったのだ。NHKが開発を進めてきた超高精細・8K映像の素晴らしさを世界にアピールする絶好の機会だ。地方博や展博事業のパビリオンコンテンツなどを数多く制作、演出した豊富な経験とノウハウが買われてのことだった。NHKスペシャル『世紀を越えて』のプロデューサーの紹介も後押しした。

美しい豊かな日本の風景を探して、47都道府県全てを歩き回り、ロケハンした。ロケ地を探すにあたって、ハイビジョン推進部時代の人脈が力となり、自然番組担当の人たちからの情報提供が大きな支えとなった。実に18ヶ月の準備・制作期間を費やして出来上がった2本のスーパーハイビジョン作品は、『地球・いのち育む惑星』と『地球・光あふれる惑星』。1本7分30秒、2本合わせてもわずか15分の短編ドキュメンタリーだが、重いカメラとケーブルを抱えて野山を駆け巡り、16分の映像データをバックアップするのに8時間を要するという膨大な編集作業を経てつくり上げた作品は、今も8Kの記念碑的な作品である。
そして一色が映像演出を担当したテーマ館は、万博のベストパビリオンの一つに選ばれた。
「自分の人生をある意味で変えるきっかけになった、博覧会のパビリオン映像を制作できるというめぐり合わせに感謝しました。自分が作った作品を見て、どれだけの人の人生を変えることができたかは、知るよしもありませんが、世界中からやって来た人たちに、最先端の技術でつくった映像を観てもらえる機会は、とても大きなことでした。」 (一色)

世界を舞台に、世界に通用する作品をつくりたい

万博のプロジェクトから戻って間もなく、今度は大型ドラマのプロジェクトから声がかかる。司馬遼太郎の原作を壮大なスケールで映像化した『坂の上の雲』の制作である。2009年から3年にわたって放送された3部作のうち第1部(2009年 全5回)のスタッフとして3年半の間、制作にかかわり、最終回第5話『留学生』の演出を担当した。
海外でのロケを多用した「坂の上の雲」は、NHKの国際的なネットワークや展開力がいかんなく発揮されたドラマだった。一色が取材した国は9か国、撮影に訪れた国は7か国に及ぶ。自分が演出した回では英語で演出をしただけでなく、他の回では裏方として通訳をしたりイギリスやロシアでは現地の映画俳優と交流したりと、一色の持ち味を最大限に活かすことのできた現場でもあった。
「3年半にわたってひとつの作品に没頭できたのは大きな宝物です。NHKの底力を肌で感じとることもできました。『僕らの仕事は、この国の文化を担っているんだ』という気慨をもって、仕事に取り組めたことは大きかった。本当にすばらしい体験ができたと思います。」(一色)

オンリーワンの演出家をめざして
『坂の上の雲』(NHK DVD)
自分を活かせる仕事を、“挑戦”がNEPのスピリッツ

一色のディレクター哲学はシンプルだ。「明るくて、楽しく、元気よく、人に感動してもらうこと。感動というのは、つまり、人の心を動かすこと。笑いであっても、涙であっても、とにかく人の心を動かすものを作りたい。それが最大のテーマです。」(一色)

ここ数年、一色はテレビ放送開始60年を記念するNHKと日本テレビとのコラボレーション番組をはじめ、時代劇専門チャンネルの作品やプロモーションビデオなど、さまざまなジャンルの演出を手がけてきた。初めて挑戦した舞台の演出では、すぐに跳ね返ってくるリアルな観客の反応が、かけがえのない経験になったという。

32歳からのドラマ挑戦。一色は「遅すぎた」とは思っていないという。逆に最初からドラマ制作に携わっていたら、途中で挫折していたかもしれないとも思う。20代に多彩な仕事をした経験や人とのつながりが、自分の血肉となってドラマ作りにも活かされていると感じるからだ。
「NEPには王道のドラマもあれば、新しい共同制作のドラマもある。あらゆる可能性があります。NHKだけではなく、外部の仕事で自分を活かせるチャンスもあります。そのチャンスをもっと探って作っていくことができれば思います。」
一色の視線の先には海外がある。入社前にめざした国際共同制作の夢も、もちろん大学で学んだ映画製作もいつか実現させたいと考えている。
「NEPには、君そんなものやらなくていいよ、というんじゃなくて、新しいことをやってごらんといってくれる度量がある。それはすごくありがたいですね。この会社のスピリッツという気がするんです。」(一色)

1年半後に放送される大河ファンタジー「精霊の守り人」第3部で、一色はどんな挑戦を見せてくれるだろうか。

(掲載日 2016年6月24日)

staff1
一色 隆司
Takashi Isshiki
制作本部
ドラマ番組
エグゼクティブ・ディレクター
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