NHKエンタープライズ iHistory(アイ・ヒストリー)

NHKエンタープライズ iHistory(アイ・ヒストリー)

ロックに卒業なし! 全員留年!
ロックの魂を教える学校を作ろう!

「新たな事業として、若い人向けにコンテンツを開発したい。何か良い企画はないか。」
2006年、「NEP開発センター・事業推進(翌年“事業開発”に改称)」で、新規事業の開発について話し合いが行われた。将来の柱となる事業を開発するために新設された部署で、入社6年目の若手から中堅までの15人が集まり、何か新しいことをやってやろうという空気がみなぎっていた。検討すべきテーマの一つとして示されたのが、若い人たちが魅力を感じるコンテンツの開発だった。NHK番組の視聴者層の高齢化が進み、若い視聴者が離れていたことが背景にある。

求めに応じて企画を立案したのは、当時、事業開発に所属していた田邊浩介だった。
田邊が提案したのは、『ロックの学園』。架空の学校を舞台に、「ロックの授業」や「体育館ライブ」を行う音楽イベントの企画と、それを収録した放送番組だった。楽曲としてのロックの魅力だけではなく、ロックを通して人としての生き様や、矛盾だらけの社会とどう向き合うかを、若い人たちに考えてほしいという思いがあった。

田邊自身、学生時代にRCサクセションの忌野清志郎に夢中になり、学校では教えてくれないことを教えてくれる“先生”として尊敬していた。清志郎は当時、反原発を歌ったアルバムが発売禁止になったり、自らの歌を放送に流すことを自粛したラジオ局を批判したり、過激な言動が注目を集めていた。権力に屈しない清志郎の「何ものをも恐れない、姿勢としてのロック」がまぶしかった。

清志郎が教えてくれたロックの精神は、今の若者の心にもきっと響く。『風とロック』の編集長でもある、クリエーターの箭内道彦(やないみちひこ)さんとの会話によって、その思いは確信に変わった。

「箭内さんには、若者向けの新しい企画をいっしょに開発できないかと相談をしていたのです。その中で、若い人による凶悪事件が増えていることが話題になり、なんで、こんなことになっちゃうんだろうと話し合いました。
そのとき箭内さんと『ロックを聴いていたら、こんなことにならなかったんじゃないかな』『ロックをちゃんと教えておけばよかった』という話をしていたんですね。
常にアグレッシブに前に進むロックを知っていれば、こんな後ろ向きの事件は起きなかったのでは…、少なくとも清志郎の歌に感動していたら、絶対こんな悲しいことにはならなかったはずだと。
そこから『ロックを教える学校を作ろう!』というアイデアが生まれ、じゃあ、ロックの学園だ! と企画がスタートしたんです。」

当時、開発推進担当の執行役員だった亀村哲郎特別経営主幹は、この企画なら若者向けコンテンツとしてNHKの番組にもなり、NEPが取り組む新しい事業としても価値があると判断した。
「若い人にテレビを通してではなく、直接NHKの存在を感じていただける機会になる。また、少子化で廃校になる学校もある中、若い人が集まるイベントは、地域の活性化につながると考えました。」

ロックの学園
早速作られた「ロックの学園」の校章。箭内氏がデザインした。
廃校舎を学園としてよみがえらせる

田邊は企画を実現するために動き出した。まずは会場である学園をどこに作るかが最大の問題だった。

学園というコンセプトを前面に打ち出す以上、実際の学校の校舎を使いたい。
早速、都内で協力してくれる学校を探して回った。しかし、大音響による演奏が近隣の騒音問題になることを懸念して、断られるケースが相次いだ。

“学園”探しが難航する中、田邊の脳裏に、ある学校の校舎が浮かび上がった。それは、神奈川県三浦市の旧三崎高校。廃校となった校舎が、映画やドラマの撮影現場として使われていたことを思い出したのだ。
早速現地に飛んだ田邊に対して、三浦市では、市長自らが「若い人がたくさん来てくれるのはうれしい。ぜひ三浦市でやってほしい。」と校舎の使用を快諾してくれた。さらに周辺住民への挨拶回りにも市の職員が同行してくれるなど、全面的に協力をしてくれた。

ただし問題もあった。無人の廃校舎は、埃がたまっている上に、机や椅子も足りなかった。これをいかにして “ロックの学園”らしく生まれ変わらせることができるか…。

低予算のため、あまりお金をかけることは出来ない。足りない机や椅子は、付近の学校などにお願いして借りることになった。
また、校舎の掃除、机や椅子の運び込み、飾りつけなどは、NEP事業開発のメンバーと三浦市の職員が、力を合わせて行った。校舎は4階建てで教室が30以上。エレベーターはないので、両手に椅子を持てるだけ持って階段を上り下りするなど、秋なのに汗をかきながらの作業となった。
「三浦市職員の方が、警察や消防への許可申請から近隣へのあいさつ回り、校舎の清掃まで、本当に体を張って協力してくださいました。三浦市の協力がなかったら、ロックの学園は実現しなかったと思います。」(亀村)

三浦市の協力のもと、スタッフ全員の力を結集した、文字通り手作りの「学園」が少しずつ姿を現し始めた。

ロックの学園教室用の机や椅子が並べられた。来場者も気分は高校生?
校訓は「愛し合ってるかい?」

次なる課題は、教諭として参加してもらうミュージシャンの出演交渉だが、中でも重要なのは、学園の顔となる校長だ。
ロックの学園の校長にふさわしい人は誰か…。田邊にとってそれは、あこがれの忌野清志郎さんしか考えられなかった。

「校長には誰がふさわしいか。箭内さんも私も、同時に忌野清志郎さんの名前を挙げました。もう、まったく他の候補は考えられなかった。」

当時、清志郎さんは闘病中で音楽活動を控えていた。そのため直接の参加は難しいが、校長への就任は快諾してくれた。さらに校長として、学園の校訓を決めてもらえないかと依頼すると、ご自身の決めゼリフ「愛し合ってるかい?」を提案してくれた。校長室には、清志郎さんのステージ衣装や、実物大写真パネル、直筆のメッセージなどを展示し、校長自身は「出張中」という設定にした。

  • ロックの学園「校長室」。忌野清志郎校長の様々なグッズが展示された。
  • ロックの学園ステージ衣装などの展示には、来場者も大喜び

清志郎校長が直筆した校訓「愛し合ってるかい?」は垂れ幕に印刷し、校舎に掲げた。出張中でも、清志郎校長の絶大な存在感が感じられる学園ができ上がった。

2007年11月23、24、25日の3日間、風とロック、三浦市との共同主催で、ロックの学園は開校した。

「体育館ライブ」には、GOING UNDER GROUND、Bonnie Pink、スネオヘアー、平川地一丁目、サンプラザ中野、怒髪天、斉藤和義が出演した。
このライブも学園行事の一環という設定で、授業開始のチャイムで開演、放送部の部員(という設定のスタッフ)がアナウンスを担当した。また、出演者の肩書は「教諭」。演奏の合間に、会場の生徒(来場者)に向けて、教諭として語りかけた。
「人生はやり直しがきく、やりたいことにチャレンジ!」
「行けるから行くんじゃない、行くしかないから行くんだ」

ロックの学園熱狂の体育館ライブ。出演者はMCで高校時代の思い出や人生観を語った。
  • ロックの学園ライブに参加したミュージシャンの一部を写真で紹介。サンプラザ中野
  • ロックの学園怒髪天
  • ロックの学園Bonnie Pink
  • ロックの学園斉藤和義

レコードショップとのコラボによる『購買部』では、CD、DVD、ロックの学園公式グッズを販売するなど、学内の3分の2以上の教室でロックな展示が行われた。校庭には「食堂」と称して屋台が並び、「まぐろラーメン」「まぐろホホ肉のステーキ」「まぐろ丼」など地元三崎港の名物が人気を博した。

「“ロックの学園”という架空の学校の学園祭というコンセプトを徹底しました。ある意味、テーマパークを作るようなものだったと思います。」(田邊)

  • ロックの学園購買部。CDや学園公式グッズがどんどん売れていった。
  • ロックの学園ロックの学園公式Tシャツも用意された。
  • ロックの学園校庭では三崎港のおいしいものが食べられる!
  • ロックの学園トロちまき
  • ロックの学園まぐろのとろまん
  • ロックの学園まぐろのテールステーキ
ロックの学園徹底したコンセプトの一例、専用の新聞も発行! 当日のパンフレットとして利用された。
「ロックでない奴ァ、ロクでナシ!」

教室で行われる授業は、ロックの学園らしく、歌に込めた思いを伝えてもらう内容をめざした。
「授業を担当予定のミュージシャンとは個々に打合せをして、ゼロから作り上げることにしました。当初は、歌のメッセージを授業で伝えてほしいと思いましたが、実際はかなりの部分、ミュージシャンのアイデアをベースにしたものになりました。」(田邊)

常識にとらわれない、楽しくてためになる「ロックの授業」。
その象徴的な例を2つ紹介しよう。

(1)倫理社会「ロックでないヤツぁロクでナシ」(2009年)
講師:増子直純(怒髪天)

  • ロックの学園怒髪天ボーカルの増子教諭による倫理社会の授業
  • ロックの学園抜き打ちテスト「どっちがロックだ? 50 問」
  • ロックの学園聞き入る生徒たち

校則「ロックでないヤツぁロクでナシ」を掲げ、校則「ヤバイ優先!」を導き出す。増子流のロックの定義「ロック=ヤバイ」を知り、その定義を実生活に活用できるようになる授業。
授業中には、まさかの抜き打ちテスト、その名も「どっちがロックだ? 50 問」を実施。これは増子教諭が考案したオリジナル問題で、2択の中で、どちらがロック度が高いかを選択する50 問だ。例えば、学校・職場編では、「遅刻」or「ズル休み」が出題された。これは「遅刻」が正解。「遅刻」のほうがロックだと増子教諭はいう。なぜなら遅刻すれば怒られる、怒られないようにドキドキしながら走る、その行為に「ロック」があるという。「迷ったら、ドキドキする方を選べ」とは増子教諭。
最後の出題は「生きる」or「死ぬ」。正解は「生きる」。増子教諭は、「生き続けている限り、ロックなことに出会える。とにかく生きる。生きていただきたい。」と熱いメッセージで授業をしめくくった。

(2)特別講義「終業式」~ロックに卒業はない!~(2009年)
講師:鮎川誠(シーナ&ロケッツ)

ロックの学園黒ハット、黒スーツ、黒眼鏡で決めた鮎川教諭

自身の数十年に及ぶロックンロール人生を振り返り、「簡単にロックがわかった、とはいってほしくない、ロックはいつの時代も新しくて、生きている人間がいちばん輝く音楽。君たちにロックを卒業してほしくない。」と、若い世代へのメッセージを伝える。授業の最後には「全員、留年です!」という言葉で締めくくると、会場から万雷の拍手が鳴り響いた。

ちなみにこれらの授業は、すべて日直(ミュージシャンやスタッフが担当)の「気をつけ」「礼!」から始まった。一部の授業では、日直が黒板消しを引戸にはさみ、教諭が引戸を開けたら黒板消しが落ちる! というアナクロないたずらも発生。皆が皆、このこだわりの授業を楽しんだ。

ロックが好きだから

3日間の来場者数は約6,500人、「ディズニーランドみたいで楽しかった」「ロックへの情熱と愛を感じた」「新しいことに挑戦する勇気をもらった」などの声が寄せられ、好評のうちに幕を閉じた。
「学校にいるだけで楽しい、という声が印象的でした。みなさん、学園祭のような雰囲気を喜んでくれたようでした。廃校となった三崎高校の卒業生の方々も多数来校されていて、母校がよみがえったようで感動したという声を聞いて、うれしかったですね。」(田邊)

スタッフは手応えを感じたが、入場者数は期待したほど伸びず、イベントの収支は厳しいものだった。イベントを継続するかどうかについては社内でも意見が割れた。
「一過性のイベントに終わらせず、じっくり育てるべきだ。」
社内の空気を変えたのは、他でもない、将来の事業の柱を作るために生まれた新部署、事業開発のメンバーの決意だった。
「ロックの学園を継続するかどうか、部の全員を集めて意見を求めました。はじめは皆黙ってうつむいていましたが、現場で汗を流した仲間の一人が、このイベントはやる価値がある、と発言したのをきっかけに、全員の意思が固まりました」(亀村)

2回目の『ロックの学園』は、2009年3月20~22日に実施。ジャパンエフエムネットワーク、NTTぷらら、NEPの3社で「ロックの学園製作委員会」を作り、ラジオやネット上でのプロモーションにも力を入れた結果、1回目の2.5倍以上、1万6,400人余りの観客が来場した。

『ロックの学園』は2010年にも同じ旧三崎高校で開催され、2011年も3月19日の開催に向けて準備を進めていたが、1週間前に東日本大震災が発生し、中止となった。
その後、2012年には「ロックの学園 in 東北」と題して、被災地支援の一環として東北文化学園大学(宮城県仙台市)で実施、2013、2014年には大学学祭とのコラボレーションで東京工芸大学(神奈川県厚木市)で実施している。

「ロックが好きだったから、ということに尽きるように思います。もしくは忌野清志郎さんに触発されて、ロックってかっこいい、俺もロックしたい! と思った学生のころの純な想いを、大人になって再現したかったのかもしれません。」(田邊)
「2012年以降は、研修の一環として、入社したばかりの新人にもイベント運営に参加してもらいました。ロックの学園を通して、放送番組を作るだけではない喜びを知り、その難しさも含めて、NEPにおける事業開発の土壌を作ることが出来たと思います。」(亀村)

学園の運営方針に込められた精神は、参加した多くの生徒たち、スタッフの胸の中で、これからも輝き続けるだろう。

「全員入学! 全員留年! ロックに卒業なし!」

■ロックの学園 公式ホームページ

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田邊浩介
Kosuke Tanabe
事業本部 デジタル事業
エグゼクティブ・プロデューサー
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亀村哲郎
Tetsuo Kamemura
特別経営主幹
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